貧困という言葉は、今の日本には相応しくない言葉であると大勢の方が思われるでしょう。
デパートやスーパーマーケットを歩けば、食べ切れないほどの食糧であふれており、たくさんの方がお金を出して好きな物を買われています。
大都市を歩けば有名ブランドショップが立ち並び、ここでもお買い物を楽しんでいる方が少なくはありません。
色んなサービスを利用するには、必ずお金が要ります。
40年ほど前までは日本は世界から見て貧困国であった
日本は世界で3番目の経済大国と呼ばれており、必然的に国民ひとりあたりが手にしている資金が多いことを指し示しています。
ところが40年ほど前までは、日本は世界から見て貧困国であったことはあまり知られていません。
今では途上国を救う立場となった日本ですが、以前は助けられる側にいたことをここで詳しくご紹介をしましょう。
ユニセフという国際機関をご存知でしょうか。
国際連合の諮問機関のひとつであり、おもに児童教育支援と食糧支援を実施されています。
この組織が結成されたのが1945年で、第二次世界大戦が終結した時代です。
それまでは目立った国際支援機関はなく、自国民が困っている時は各国の政府が対応していました。
しかし、この独自性が第二次世界大戦という悲劇を生み出したことを国連は重く見て、グローバルな支援を実施できる環境が必要だと考えられたわけです。
その最初の組織となったのがユニセフで、約75年の歴史を持つ組織となりました。
ユニセフの歴史と概要
本部はアメリカ・ニューヨークにあり、当初はアメリカのほかイギリス、フランス、スイスの4か国で運営をなされていました。
日本は第二次世界大戦の敗戦国であり、1945年から1970年までの間は連合国軍の占領下にあったわけです。
大都市は家を失った方々が多く、さらには戦災孤児も多数存在しました。
彼らを救済したのがユニセフであり、結成最初のお仕事となりました。
東京・板橋区に木造の家屋を建設して戦争孤児に施設を作り、1980年まで実際に運用されています。
さらに全国各地の小学校に食糧物資を届けて、幼い子どもを栄養失調からも救ってくれました。
今では経済大国、恵まれた国であると言われる日本ですが、その礎を築いてくれたのは国連とユニセフであると言っても過言ではありません。
東京都港区にある日本ユニセフ協会について
東京都港区には日本ユニセフ協会というものがありますが、ここはユニセフの日本支部を担っているところです。
1979年に誕生して、現在では世界40か国の支援をおこなっています。
各国の支部で運営指針を明記していますが、日本ユニセフ協会では人々の命を救うという言葉を掲げてるのが特徴です。
おこなっている活動内容をここで簡単にご紹介をすると、医療・教育支援・インフラ整備の3つになります。
さらに、現地の病院建設と医療支援もなされていて、これまでに約2万人もの医療従事者が現地へ足を運んでいました。
教育支援は日本ユニセフ協会を代表する支援でもあり、アフリカのコンゴやギニアなどに学校を建設しています。
教員免許を持っている方を青年海外協力隊員として派遣をなされていて、市民教育に尽力をなされているわけです。
これまでに延べ50万人の方が青年海外協力隊員になっている
インフラ整備も青年会が協力隊による活動で、水道管の敷設や井戸の採掘など生活に必要な施設を建設されたいます。
これらの専門的な支援をするには、高い知識と技術・資格を持っていないとおこなえません。
日本ユニセフ協会では毎年2月に、各大学や企業で講演会を実施して隊員を募っています。
これまでに延べ50万人の方が青年海外協力隊員になっていますが、すべての方に準公務員という資格が与えられるのが、大勢の方々に魅力を与えてるといえるでしょう。
そして、各企業や大学などから隊員を輩出した場合は、ユニセフからの助成金を受け取ることも可能です。
一種の人材派遣と見てとることもでき、1名につき年間約40万円の助成金となります。
この支援をなされているのは日本ユニセフ協会だけであり、ほかの国の支部では実施をされていません。
日本ユニセフ協会は今では本部に次ぐ強い影響力を持っています。
まとめ
独自の支援システムを構築されており、昨今では里親制度というものも確立をしました。
少子高齢化を救う画期的な支援であると言われており、途上国で両親が居ない孤児を国内の夫婦が引き取るというものです。
人命を救うことにつながっているので、世界からも高い称賛を得ています。
以前に受けた恩を返すことにもつながるので、国民であればこの支援を応援しましょう。
最終更新日 2025年7月9日 by meisho